徒然なるままに
「ブログ」に興味を持ったのが去年の2月。なんとなく始めるのが億劫だったものの、この年明けを契機にブロガーデビューをしてみた。
毎年盆と正月は実家のある京都は伏見に帰省しているものの、2泊もすればやることも無くなり近辺を徘徊するしか無くなってしまう。
今日も手持ち無沙汰のまま散歩をしていると「観月橋駅」へ到着した。そこから何処か遠くへ行こうと路線図を見ると、なんと「宇治駅」へ行けるではないか!
宇治…宇治と言えばアニメ『響け!ユーフォニアム』の聖地だ。「これは良い、話の種にもなるし大吉山へ行こう」と思い早速電車へ。
これが最初の間違いだった。
宇治駅へ到着するも、新年ということもあり人の多いこと多いこと。人混みに辟易しつつ宇治川に沿って歩いていると麓への入り口を発見。
ロクに調べもせず、「ここが大吉山か〜」と信じて疑わずに登山開始。
この甘い考えが2つめの間違いだった。
登頂後に気付いた。いや、途中から看板などで本当は知っていた。引くに引けず登りきったのは朝日山。
「まぁ風景は綺麗だったし良いか!」と思い下山。家へ帰ろうと思った先で大吉山への地図を発見。「お、近い!頑張って歩こう!」と思い来た道を戻る。
これが3つめの間違い。僕は地図が本当に読めない人間なのだ。
その後、何度も同じ場所を通り、時には住宅街を彷徨い、終いには宇治駅への帰路も分からなくなって歩き続け、こいつを見つける。「こいつを見るのは三度めだ。こいつに従って歩いては迷っていた。もう信じない…でも聖地行きたい…」と逡巡の末、もう一度だけトライ。
この不退の思いは間違いじゃなかった。
数時間歩き続けて疲弊しきった身体を引きずり、なんとか展望台まで登りきった。
いや、疲弊しきったとは書いたが、この道中はそれまでと違い、喜びに溢れたものであった。「あぁ、そうか、この道を、この道を久美子が歩いたのか」という思い。これだけで驚くほど素直に歩くことができた。
思わず立ち止まって深呼吸をしてみたり、久美子と麗奈の会話を思い出してふふふと笑いながらスキップしそうになったりしていたこと考えると、今回の登山経験から得たものは「どれだけ辛くても、気の持ちようで物事はうまく転がっていく」ということだ。
今年はこの学びを活かして、努力していきたい(現実に久美子はいない)。